NO.10 「川を見ぬ子ども」 02.3.7


(総持院橋から下流側の見沼代用水。 唯一、昔の面影が残る場所)

  子どもだった頃…。たまに東京方面へ連れていってもらうことがあると、京浜東北線に乗って行った。川口駅を電車が出て、しばらくすると荒川の鉄橋を渡る。車窓の下には大きな川が見える。それを見るのがとても楽しみで、両親に「川を見ていい」と聞いて靴を脱ぎ(昔はそうする慣わしだった)座席の上に立ち膝で、窓に額をくっつけて川を見る。電車が鉄橋を渡り終え、ふと辺りを見回すと、(特に日曜日などは)決まって何人かの子どもが同じようにしていたのだった…。

 その頃、川は大きな楽しみを与えてくれる宝箱のようなものだった…。特によく遊んだ見沼代用水は、秋の稲刈りの頃になると利根川の堰が閉められ、一気に水位が下がり、水が引けていく。そうなった直後の2−3日というのは、それこそ黄金の日々ともいえるべきもので、水が残る深みに、鮒や、タナゴや、クチボソなどがわんさと集まっている。そして、川岸の上から覗くと、鱗が太陽を反射してキラキラと光っているのだ。釣り竿を用意して駆けつけると、近所のおじいさんやら、おじさん達もにこにこしながら釣りに興じている。そして、決して釣りはうまくない子どもの我々にも、必ず何匹かの魚が遊び相手となってくれるのだった。また、水が干上がって砂地となった川底を歩けば、今となっては種類はわからないが、容易に幾つも貝を拾うことができた。(大きさや形は、イタリア料理のムール貝に少し似ていた気がする)食べたという話も聞いたことがあるので、食べられる貝だったのだろう。鮒を狙って一生懸命釣りをしても、ザリガニが何匹も連続して釣れてきてしまうこともあったし、カエルを袋一杯捕まえて、水溜りで競泳をさせたこともあった。でも、今はもう、そんな川は流れてはいない

 そして、その頃大抵の子どもの心の中に流れていた川…そう、お金では買えない、大きな楽しみを与えてくれる川も消え失せてしまった。何時からか、電車から川を見る子どもはいなくなってしまった。そしてそれにつれて、野原や川で遊ぶ子どもも、ぐんと少なくなった。夏休みの制服のようだった麦藁帽子とランニングシャツで、網を持って駆けずり回っている子どもに会うことは、とても少ない。

 自然が少なくなった…、自然を保護しなければ…というが、人間の、それも心の中に存在している自然がなくなってしまうことの方がずっと深刻で、怖いことだ。なぜなら、自然から、人間本来の「本当の楽しさ」をもらう体験をしなかった人間に、いくら「自然を大切しましょう」と言っても本当に面白い本に出会っていない人間に、「本を読みましょう」と言っているのと同じで、無駄だからである。
 
 先日、登山家の野口 健氏が出演しているラジオの番組で、自分がエベレストの清掃登山をやっているのは、さる外国の登山家に「日本は経済は一流だが、文化とマナーは三流だ」と言われたからだと語っていた。(エベレストのベースキャンプ付近には日本の登山隊のゴミが沢山捨ててあるそうだ)

 「ゴミを捨てるのはやめましょう」という看板をいくら立てても、こういった問題は解決しない。我々や、子どもをもつ家庭が、日々の生活や教育の中で、子どもに「自然からの本当の楽しみ」をもらう体験をさせることが唯一の解決策なのだろうと思う。宮澤賢治的な表現をすれば、これは子どもにとっての「本当の幸い」(ほんとうのさいわひ?)を体験することだ。

楽しみを与えてくれる、その源のものを壊したり、粗末にしたりする者はいないだろうから…。


「川に背を向けて生きている人間は不幸であり、川の方を向いて生きている人間は幸せである」
                                 作家であり、カヌーイストの野田 知祐氏の著書より