NO.19 「読み聞かせは画一的?」 03.7.15

 
          
(お帰りの前に…)
  幼稚園の教育には、「自由保育」という理念があり、幼児の活動の基本は保育者(先生)からの「押し付け」や、「やらせ」によってはならず、そのような活動は、幼児の「自主性」の発達を阻害するということになっています。それはそれで素晴らしい教育理念だと思いますが「読み聞かせ」というのは保育者が園児に一方的に伝えるわけなので、園児の自主的な活動ではなく、どちらかというと保育者からの画一的、一斉的な活動だと思われている面があるような気がします。

  そんなことはありません。
確かに読み聞かせをしている光景をご覧になれば、子ども達はしーんとして座り、たいてい一人残らず一斉に先生の方をみて口も開かずに聞いており、さぞかし一斉的な活動を「押し付け」ているように見えるかもしれません。
 中には、この光景をご覧になった見学者(未就園児のお母さん)の方が、非常に厳しいしつけをしてこうなっているのではないかと心配されて自由遊びの時間帯の見学を希望し、無邪気に活発に遊んでいる園児の様子を見て安心されたということもあります。

  そうです。
園児たちは「自主的に」絵本を読む先生の方を見、絵本の世界に「能動的」に入って、自分で想像したり、イメージしたりして楽しんで、それこそ「主体的」に想像力を伸ばしていたのです。ですから、クラスで同じ絵本を読み聞かせていても、形としては一斉的な活動をしているように見えますが、子ども達一人一人は「主体的」に絵本に関わり、その世界を「自由」に楽しんでいるのです。

  例えば、「おばけ」という言葉を聞いたら、あなたはどんな「おばけ」を思い浮かべますか?…。白装束を着て足がなく、柳の下にいる…日本伝統型。ドラキュラやフランケンシュタイン…ゴーストバスターズの幽霊などの西洋型。おばけのQ太郎…アニメ型。各人各様、いろいろな「おばけ」があると思います。これは各人が「主体的」に「おばけ」というものを「想像」した結果と言えます。
絵本や、本にはこの「主体的な想像力」が必ずついてまわるのです。

  一方、例えば前述の「ゴーストバスターズ」という映画の「おばけ」を見た時はどうですか…。
それは単一に「ゴーストバスターズの幽霊」であり、見た人みんなが同じ「おばけ」です。このことからビデオなどは多分「画一的」で、絵本や本がいかに「主体的」かはお解りになると思います。

 そんなわけで、「読み聞かせ」という活動は「一斉的」でも「画一的」でも、まして「押し付け」でもなく、それどころか「自由」で「主体的」、かつ「想像(創造)」的な活動なのです。
 私達は、子ども達にとって、こんなに良い活動はないと確信しています。
だから幼稚園で毎日必ず、欠かさず行っているのです。