NO.21 「宮澤 賢治 忌に思う」 03.09.24



--9月21日は、宮澤 賢治忌である--
しらさぎ幼稚園では、毎日園児に絵本を読み聞かせているが、年長の3学期には、「どんぐりと山猫」や「よだかの星」。「注文の多い料理店」を喜んで聴くことができるようになる。

これらの偉大なる童話が80年近く前に書かれたということは、驚愕に値すると思うのは私だけであろうか…。例えば今、新人作家が現れてこれらの作品を発表したとすれば、類い稀なる天才作家としてもてはやされることと思う。これらの作品には、七十数年の時を経てもいまだに新鮮で、輝きを失っていない表現が各所に散りばめられている。

−どんぐりと山猫より−
「けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすっかり明るくなっていました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。」

「一郎が顔をまっかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にわかにぱっと明るくなって、眼がちくっとしました。そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まわりは立派なオリーブいろのかやの木のもりでかこまれてありました。」

−よだかの星より−
「よだかは泣きながら自分のお家へ帰って参りました。みじかい夏の夜はもうあけかかっていました。
 羊歯の葉は、よあけの霧を吸って、青くつめたくゆれました。よだかは高くきしきしきしと鳴きました。そして巣の中をきちんとかたづけ、きれいにからだ中のはねや毛をそろえて、また巣から飛び出しました。」

−注文の多い料理店より−
「見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。」

私は数度、宮澤賢治が「イーハトーヴ」と名付けた岩手県の北緯40度線周辺を訪ねているが、上記のような表現がぴったりの風景をしばしば見た。しかし凡人の私には、このような光景を目にしても賢治のような表現は、ついぞ浮かばないことは明白である。賢治の文に出会うと、日本語とは、かくも美しいものか、自分の表現力が如何に拙いかということを思い知らされる。

賢治の童話に幼稚園で出会うには少々早いかもしれないが、小学生になったら是非読んでもらいたいと私は思う。私が小学生の頃の教科書には「よだかの星」が載っていたが今はどうなっているのだろうか…。
日本が生んだ稀有の天才の作品に触れずに成長してしまうのは、何とも惜しい。

 37歳の若さで、生前自分の作品が殆ど世に認められることなくこの世を去った賢治…。最後に私がとても好きな文…「幼稚園という仕事」(すきとおったたべものを与える仕事 !?)を…いつも再認識させられる文を引用させていただく。


『注文の多い料理店』 (イーハトヴ童話)より

 序

 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
 わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
 これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
 ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
 ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

     大正十二年十二月二十日
                          宮 澤 賢 治