NO.26 「汚れた河に放つということ」 04.6.08

 

  ここでまた、子どもをもつ人、もたない人に関わらずとても衝撃的かつ深刻な事件が起きてしまいました。

無論、教育の一端に関わる者として日々の仕事に対する責任の重さを感じざるを得ませんが、少し思うところがあるので記します。それは、子ども達をとりまく社会状況が、我々の想像を超えるスピードで悪化しているのではないかということです。

幼稚園という仕事をしている関係上、こういったことには常にアンテナを張り、感度を上げているつもりではいます。でも、その予想を遥かに上回ることが実際に起きてしまいました。

社会を「河」に例えるなら、それはもう、我々の想像以上に汚れ、流れは急になってしまっているのです。
「昔の川は、水はきれいで流れは穏やかだったのに…」と言っても仕方がありません。

そして子ども達を魚に例えるなら、いつかはその河で泳ぎ、生活をして行かなければならないのです。
我々や子どもをもつみなさんは、そんな河でも生きていけるよう、また元気に泳ぎ回れるよう、子ども達を育てて行かねばなりません。
ただし、汚れている川だからといっていつまでも親御さんの側において、一人で泳がせないのは困ります。なぜならいつかは一人で泳がなければならないからです。
それ以上に困るのは、川が汚れているという認識がないことです。汚れた水に浸かればすぐに、体や、心の中まで汚染されてしまいます。

でも一番根本的な問題。それは、社会という「河」を汚しているのは、他ならぬ我々大人だということです。これを少しでも皆の知恵で良くして行かなければ…子ども達は活き活きと泳ぐことはできないでしょう。