NO.31 「ほんとうのゆとり」 05.2.08

 昨年末から、経済協力開発機構(OECD)学習到達度調査で日本の子どもの学力の平均が加盟国の平均水準に落ち込んだとして、学習指導要領の見直しなど学力論争が起きている。 

 またそれを受け、中山成彬文部科学相は「ゆとり教育」の目玉である「総合学習」の削減や小中高校の週五日制の見直しを示唆し、そのことが波紋を広げている。

ここで、「本当のゆとり」とはどういうことか考えてみたい…。私事ながら自分の子どもが小学校の高学年になった時、学校の時間割表を見て驚いた経験がある。私が小学生だった頃に比べてあまりにもスカスカで授業時間が少なかったからだ。私が小学生の頃は、高学年ともなれば、6時間目まで国語やら算数やらの授業がびっしりと入っており、もちろん土曜日も4時間毎週教科の授業があった。今の子どもの時間割はというと、小学校の高学年はおろか中学生になっても6時間目がない日が何日かあり、その上「みんなの時間」とか「○○タイム」とか、いわゆる教科学習でない時間が連続でとられていたりする。(小学生のご兄弟をおもちの保護者の方はよくおわかりと思う)
ははーんこれが文科省の提唱する「ゆとり」かと思った。どうもこれは、「授業時間を少なくする」→「ゆとり」が生まれる…ということかららしい。はっきりと言わせてもらって、これは大きな間違いだと思う。

 私事が重なって恐縮だが、私はどうやら生来の文科系人間なようで、小学生の頃から算数が不得意だった。
今はカリキュラムからなくなったのかもしれないが、小学校高学年の時「鶴亀算」やら「植木算」やら、また「時間・速さ・割合」の問題がなかなか解らず苦労した覚えがある。

 たとえばこの「鶴亀算」…。頭脳明晰で優秀なA君はこの授業を(仮に)2時間受けると理解して問題が解けるようになりましたが、私と同類で算数が不得意のB君は2時間ではさっぱり解らず、4時間受けてやっと何とか解りました。ということがあるとする。
 4時間かけて、ゆっくりと授業時間に「ゆとり」をもって多くの子どもに授業内容を理解してもらおうと現場の先生方は思っていても、文科省の方針で「授業時間を少なくする」→「ゆとり」ということになっているから授業割当時間は2時間しかない。(あくまで例)
 そんなわけで、理解力不足のB君はさっぱりわからないままでこの単元が終わり、優秀なA君は問題なく授業内容を理解できました。ということになっていくわけだ。

 人間、理解できない話を延々と聞かされること程つまらないものはない…。授業内容がよく解らない→学校が面白くない→不登校・非行・学校の荒れ…とつながりかねないのだ。

 教育の現場では、時間数の少なさをカバーするために修学旅行を夏休み期間中にしたり、2学期の開始時期を早めたりして、やりくりをし始めた所もあるようである。

 子どもをもつ親は誰でも、子ども達が理解できるまでじっくりと授業時間に「ゆとり」をもって授業を行って欲しいと思うのではないだろうか…。何でもすぐに理解できる優秀なA君は、クラスにはそんなにいないからである。
 そのためにまず、小学校高学年以上は6時間目まで毎日授業時間をとるというのが何より先決ではないかと思うし、子ども達が特に理解に時間が掛かりそうな単元は、時間割当を多くしてもらうことが肝要ではないかと思う。
そしてこのようなことを、ほんとうの「ゆとり教育」というのではないのだろうか。

蛇足: (授業時間を増やして勉強するのが良いとこのように述べると、当園が勉強第一・早期教育推進園のような印象をもたれるかもしれませんが、子ども達の長期的将来を考えてこのサイトに書いているだけで、むしろ行き過ぎた早期教育には反対の考えでありますのでよろしくお願いいいたします)