NO.46 「新園舎建築の根底にある本」 07.07.04

 「新園舎は木で造る。」こんな基本理念を考えてからもう随分時間が経った。近代的でモダンな園舎は、みんなコンクリート。耐用年数や減価償却年数で有理なのもコンクリート。そんな中で、木造園舎にこだわった理由は全てこの本の中に書いてある。「木に学べ」 西岡 常一 著 小学館 刊 である。

西岡氏は、もう既に故人になられて久しいが、世界最古の木造建築・法隆寺直系最後の宮大工棟梁であり、薬師寺西塔・玄奘三蔵院を建てた人として名高い。この本の中で、西岡氏は宮大工の中に伝わる口伝を度々紹介するが、それは宮大工・建築という職域を超えている。

「木を組むには人の心を組め」…木にはそれぞれ、育った環境によってクセがある。人も同じである。各人のクセを見抜き、適材適所に配置し、心を一つに束ねるのが棟梁の仕事である。
「木を買わずに山を買え」…南の斜面に育った木は、建物でも南の面に、北向きの所に育った木は北の面に使うとクセがでてもその建物に合ったものとなる。よって、材木を買うときは、材木になったものを買うのではなく、山に木が生えている状態を見に行き、どのように生えているのかを見極め、その木を建物のどこに使うのか決める。だから山ごと買う必要がある。
「木の命をもらい、それをまた建物として生かす」…法隆寺を修理した時、屋根瓦を下したところ屋根の重みを支えていた垂木が上にはねかえっていった。千年前に切られた木が、建物となってまだ生きているということである。樹齢千年の木を切り、また千年建物として生かす。こうしたことを飛鳥時代の工人は考えていた。
など、内容を紹介すればきりがないが、それらはみな我々の人生にも応用できるような「智慧」である。
 新園舎を計画するにあたり、各地の本物の木でできた建物の中に入ったが、その際に共通していた体験は「何故かホッとし、心が安らぐ」ことだった。それはどうしてかわからない。最近フィトンチッドの存在などで科学的に証明されるようになってきたが、それとは別に、古来から我々の遺伝子の中に記憶されている「何か」がそういった感覚を抱かせているような気がするのだ。

最後に、この本の中の西岡氏の言葉で、特に印象的な部分を引用させていただく。
「山というのは、わたしども人間のふところやと思います。人間でいえば母親のふところやと思います。人間というのは知恵があって、すぐれた動物やから、なんでも自分の思うようにしようとするけどね、そんなの自然がなくなったら人間の世界がなくなるんです。そう考えたら、木も人間もみんな自然の分身ですがな。おたがい等しくつきあうていかなあきませんわ…」