NO.60 「遊ぶ力は生きる力」 10.9.22

園の近くにある保育関連学科のある大学から、主に一年生が年に2回幼稚園を見学に来ます。引率してきた指導教授の方と園長室でお話をする機会があり、その方によれば、現在カナダの大学と交流をしており、向こうの大学を訪れたところ、カナダの学生達が本当に熱心に、そして意欲的に勉強をしている様子に驚いたとおっしゃっていました…。比較的自由な国と言われているのに、どうしてなんだろうと思ったとのことでしたが、二人で「それは多分…自由に…熱心に勉強をしていた」のでしょうということで意見が一致しました。

その日は生憎の雨で、私は見学の学生に、雨でなければ砂場や築山、草地で存分に遊ぶ子ども達を見てもらえると、「読み聞かせ」が本当に主体的に遊ぶ力を育てることが解ってもらえるのに残念ですと伝えたのですが、臨床心理士の資格もお持ちの指導教授の方もそのことに全く同感で、遊びの工夫 → 勉強の工夫 → 仕事の工夫と繋がって行き、これが即ち「生きる力」になっているのだということも見解が一致しました。

子どもは本来、特に何もなくても遊べる力を持っています。それは主に「想像力」によるものです。だから「読み聞かせ」によって、より一層の想像力が育まれていると、砂や土、棒きれなどでも、とても楽しく遊べるのです。でもこの力を簡単に奪う方法があります。お金のかかる電気を使ったオモチャ・施設で沢山遊ばせることです。栄養価の整ったご飯の前にケーキを食べさせたように、前記の遊びなどには興味が無くなります。

今、「生きる力をつける教育をしよう」などというスローガンがありますが、子どもは本来「生きる力」を持っています。それを大人や社会が奪っていってしまっているのです。こうしたら楽しいかな…面白いかな…と自分の頭を使って遊びを工夫する→これはどういうことかな…と勉強を工夫する→こうすればうまくいくかな…と仕事を工夫する…こういった連携が「生きる力」を生むのですが、電気を使ったオモチャ・施設の多くは誰がやっても遊び方や結果に大幅な違いはなく、「自分の頭で考えて工夫する」という要素は少ないのです。

言われたことを言われた通りにしかできない。特にやりたいことがない…やる気もない。こんな若者が増えて困るという声を聞きますが、そうなっているのは彼らを育ててきた皆の責任であることを自覚し、その原因を断つ努力を社会全体がしていかなければいけない時期に、もうなっているのだと思います。