NO. 8「電気を使う遊びは…」 02.1.18


 早いもので、21世紀になってもう1年が過ぎました。…。
ということで、時間は人間の都合とは関係なく過ぎていくので、当幼稚園において、今年重点的に取り組みたいと思っているテーマについて書きます。
 それは、やっぱり「遊び」についてです。(注!決して本業の「読み聞かせ」をおろそかにするということではありません。)
何度かこのコラムで書いていますが、子どもにとって、その時期にふさわしい「良質の遊び」を沢山経験するということは、ある意味では、その人間が、意欲的、主体的に生きていく力を貯えていっているということです。私は勝手に「人生の燃料備蓄」と呼んでいます。
 この燃料が少ないとどうなるか…イコール文部科学省が解決に今一生懸命取り組んでいる「生きる力」の不足となります。
 でも、これは小学生になってしまってからでは「遅すぎる!」というのが実感です。
 それはもう、彼等の多くは電気を使う遊びの奴隷になってしまっているからです。
 電気を使う遊びは文句なしに面白く、そして刺激に満ちています。何故って?それはそうしないと売れないし、売れなければ利潤は生まれてこないからです。人間は刺激的な物に弱いのです。どうしても引かれてしまいます。
 子どもというのは、本来「遊びの天才」です。木の枝一本や、石一つで楽しく遊べる能力をみんな持っています。でも、電気を使う刺激的なおもちゃに、それこそ赤ちゃんの頃から接していれば、そういった力は段々と消えていってしまうのです。それらの多くには、「工夫」や「創造」はなく、あるのは決まった「結果」だけですから。
 「別に遊びなんて、子どもがその時楽しければいいんじゃない?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。
 それは、違います。さっき書いたように、子どもが木の枝一本や石一つで楽しく遊んでいる状態は、極論すれば、科学者が仮説を立て、それを証明する実験を考え、繰返す行為にほとんど等しいのです。
 「別に科学者にならなくてもね…」と思われる方へ、思春期以降、自分の人生に明確な目的や目標を持ち、それを実現するために何をなすべきかを考え、行動できる人、即ち「生きる力」に溢れている人と、皆と同じようにただなんとなく生きる人と、どちらが楽しく、有意義な人生を送れるのか…考えてみてください。
 幼児期に、その時代にふさわしい遊びを沢山経験したかどうかが、後の人生に多大なる影響を与えるということが、数々の研究で明らかになってきています。
 「夢中で遊ぶ…」大人になるとなかなかできません。大学は何度でも入ることができますが、幼児期のやり直しはできません。
 「いい遊びができているかどうか」は子どもの目を見れば解ります。その時の目は活き活きと輝いていて、希望、意欲、期待に満ち溢れています。「生きる力」の燃料をどんどん貯えている状態です。もしかしたら、その燃料はガソリン以上のロケット用燃料かもしれません。
 お子さんをおもちの方はできたら今度、公園で遊んでいる時にでも観察してみてあげてください。こういった視点からお子さんを見ることができれば、「その目」から逆に、とても大きな「力」をもらえますよ。
 
 幼稚園にいる間、そんな目の状態、経験を少しでも多くしてやりたい…。これが、今年、いや今後の最大の課題です。