NO.1 「成人式と想像力」 01.01.17


 全国各地で成人式が荒れました。
このことに際し、教育の一端に携わるものとして、責任を感じざるをえません。
「こういう子どもに育てたつもりはなかった…」ある幼稚園の園長先生の言葉です。
これは、全教育関係者の言葉でもあるでしょう。
しかし、事実はこうなってしまっている。21世紀を担う役目の若者がこうなった…それもここにきて、急速に…この事実を真剣に受け止め、何か改善とまでいかなくても、抑止できることはないかと、特にその原因について考えてみました。
 原因について、思い当たるのは想像力の欠如です。
 成人式で騒ぎを起こした若者に共通しているのは、自分がこのような行動をとったら、どのような結果になるかを想像する能力に大きく欠けているということです。
いや、むしろ自分と仲間以外のことは何も考えていないといったほうが当たっているかもしれません。なぜそのような若者に育ったのか…。
 おそらく、彼等が生まれてから20年間、自ら「想像する」ということを殆どしてこなかったからでしょう。
 現代社会は、想像力を発動しなくても生きられる社会になってきています。例えば、料理を作るのには、手順をイメージし、材料を揃え、調理を行うわけですが、コンビニやファーストフードで済ませてしまえばこれは不要となります。昔にはなく、手間隙かけて行っていたものを代行することが、現代社会においては大いにビジネスとして成り立つのです。
 生まれた時から物と情報に囲まれ、何がブレイクしている…トレンディだ(ちょっと古いか)…という情報を受けるとすぐにそれに従い、購入し、消費する。今は、バザー等でも売れ残る「たまごっち」がよい例かと思います。

 *この図式: 情報→ 受取る(受取り側は情報通り行動する、そこに思考や想像は必要無し)

 これを何年も繰り返してくれば、想像力が乏しくなっても仕方がないのですが、恐ろしいのは、こういった人間ほど、売り手にとって、都合がよい消費者ということです。
 作家ミヒャエル・エンデは、「はてしない物語」(岩波書店刊)の中で、夢を失った人間は「虚無」に支配され、コントロールされやすくなるということを記しました。
想像力がなければ、「他人を思いやる」といったことも無論できません。極論すれば、他人をナイフで刺してしまったら…ということも頭に中に想像できないし、いじめられた子の気持ちも考えられないということです。

  作家の五木 寛之 氏は、著書「他力」(講談社刊)の中でこのように述べています…。
 子供たちは、以前は暮らしの中でいろいろな物語を聞き、頭の中に物語がいっぱいつまっていました。しかし、いまはそれが乏しくなっています。
 物語を豊かに持っている子供は、ナイフを取り出した瞬間に、刺してどうなるかというストーリーが一瞬のうちに浮かぶはずです。その想像力によって、これまでキレることが抑止されてきたのではないでしょうか。
 キレるというのは、物語をつくる想像力が切れるということです。テレビのコードを引き抜いたように、一瞬、画面が消えてしまい、空白の瞬間が生ずる。
物語の根は想像力にあります。そして物語性がその人を支えている。人は過去と未来の時間的連続の中に自分がいることを感じ、社会的連続の中に存在することを確認しますが、その縦軸と横軸を作り上げるのが物語です。物語が切れると自分の定点が持てなくなります。…

 未来を担う子ども達の想像力が育つよう、今年も、当園においては読み聞かせに力を注いでいくつもりです。
 また、少しでも子どもをとりまく社会や環境が良くなることを願い、このサイトからの発信を続けます。